日本ナレッジ・マネジメント学会アート部会
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第23回KMSJアート部会研究報告書

【日時】平成24年5月11日(金)18時〜20時30分
【場所】小石川後楽園涵徳亭日本間(JR飯田橋5分)
【学会関係出席】5名(眼龍、小野瀬、堀田、谷澤+ゲスト同友館脇坂社長)
【研究テーマ】「日本伝統音楽の歴史と知からの学び」
【発表者】眼龍 義治(KMSJアート部会特別顧問)

【配布資料】
(1) 日本伝統音楽
(2) 日本の音楽を俯瞰する
(3) 日本伝統音楽の流れ
(4) 日本の音楽
(5) 日本伝統音楽の知から学ぶ

【視聴資料】
・日本伝統音楽の音源サンプル

【発表概要】
1.日本伝統音楽の歴史からの学び

・日本古来の音楽は古墳時代400年頃の歌垣、田舞、散楽など太鼓と横笛による古代習俗芸能に見られる。この頃、外来舞楽として雅楽が伝わった。
・古墳時代500年頃には仏教の伝来と共に仏教音楽として声明が伝わった。
・奈良時代700年頃には雅楽の宮廷舞楽、仏教音楽の法会舞楽・法要琵琶などが伝わった。
・平安時代800年頃には国風歌舞として催馬楽、朗詠、田楽が発展した。1000年頃には京都で神社祭礼として猿楽が大流行し、1100年頃には田楽能、 猿楽 能、白拍子雑芸などが流行した。1200年頃には、普化尺八、盲僧琵琶(薦僧)、平家琵琶が流行した。
・鎌倉時代1300年頃には勧進田楽として大和猿楽が流行した。
・室町時代1400年頃には観阿弥・世阿弥の親子により能楽が大成された。1500年頃には筑紫箏など地歌筝曲、薩摩琵琶、太棹三味線による浄瑠璃などが 登場し た。
・安土桃山時代1600年頃には地歌筝曲として生田流筝曲、浄瑠璃の河東節、虚無僧尺八などが登場した。
・江戸時代1700年頃には浄瑠璃の宮園節、新内節が登場し、歌舞伎音楽として江戸長唄、常盤津節、富本節、清元節などが登場した。1800年頃には筑前 琵琶、都 山流尺八による民謡が登場した。
・明治時代1900年頃には筝曲、尺八の接近により三曲が登場し、小唄が流行した。生田流の宮城道夫は十七弦箏の開発や洋楽との融合などによる新日本音楽 を創設し た。
・大正時代には民謡ブームとなり、民謡初のレコード化「八木節」(1915)、新民謡「ちゃっきり節」(1917)などが創作された。
・昭和時代には東京芸大に「邦楽科」(1950)が創設され、宮城道夫らが教授に就任した。また、NHK「邦楽技能者育成会」(1955)が創設され、 「津軽三味 線」が東京進出(1960年代)した。

2.日本伝統音楽の知

1)原始民族音楽

・古事記、日本書紀によると、古代の歌舞は人が亡くなるとその墓前で歌舞をしてその魂を呼び戻そうとする風習があったと言われている。
・収獲に感謝するための歌舞や大勢の男女が輪になって歌い交わす「歌垣」も多くの民族で伝えられている。
・古代の楽器としては、笛、鼓、鈴、銅鐸、和琴(わごん)などが埴輪や出土品から確認できる。
2)大陸音楽輸入期

(1) 雅楽
・雅楽は中国の孔子廟の祭祀で用いられた宗教音楽だったが、日本に伝来した雅楽は宮廷の儀式や饗宴で行われた音楽で、舞踊を伴う雅楽を舞楽という。舞楽は 唐から伝 来した唐楽と朝鮮半島から伝来した高麗楽の二種類に分かれる。また、舞踊を伴わない唐楽を管弦といい、大陸から伝来した仮面を付けた舞踊を伎楽という。 (2) 声明
・声明とは元々インドの僧侶が学ぶ音韻楽を意味していたが、日本では鎌倉時代以降、天台宗・真言宗など仏教の儀式音楽を指すようになった。
3.民族音楽の萌芽期
1)催馬楽(さいばら)
・催馬楽は雅楽の一種で、日本で興った歌の音楽で、歌詞は民謡(たみうた)から採り、民謡特有の囃子詞(はやしことば)を持ち、活発な曲想を持つ。 2)朗詠(ろうえい)
・催馬楽同様に雅楽の一種で、漢詩の詞章に節を付けて演奏する。
3)今様(いまよう)
・歌謡の一種で、平安時代から鎌倉時代にかけて流行した「現代風」という意味の歌謡である。

4.民族音楽興隆期

1)平曲(へいきょく)

(1)平家琵琶(へいけびわ)
・琵琶の伴奏で平家物語を語る声楽曲で「平家琵琶」ともいう。鎌倉時代に藤原行長が作詞し、生仏(しょうぶつ)という盲僧が作曲したもので、平家物語の各 章に一 曲づつからなり、全体として200曲にも及ぶ。

(2)薩摩琵琶(さつまびわ)
・九州薩摩で興った琵琶楽の一種で、島津忠良が改良した音量豊かな表現力の大きな琵琶で演奏する。楽器は大型で柱の高く、撥も大きく、あまり形にとらわれ ず、自由 闊達に演奏する。「川中島」「白虎隊」など悲壮な戦争物が多いのが特徴。琵琶は縦に持つ。

(3)筑前琵琶(ちくぜんびわ)

・筑前博多で興った琵琶楽の一種で、明治中期に盲僧琵琶の流れをくみ橘智定が興し、優雅・哀婉(あいえん)を生命とする音楽。女性の演奏家が多く、「壇の 浦」「小 督」などが有名。琵琶は斜めに持つ。


2)田楽能(でんがくのう)
・平安時代中期ごろから始まった、主として神社で奉納するための舞である。
3)猿楽能(さるがくのう)
・平安・鎌倉時代に盛んになった滑稽な雑芸が始まりで、初期は曲芸軽業的にものであった。「能」が一般化したのは世阿弥の著した「風姿花伝」以降である。

4)能楽(のうがく)
・猿楽座が全国にあり、中でも大和猿楽と近江猿楽が際立った存在であった。大和猿楽の中心は円満井、坂戸、外山、結崎の四座で、それが後の金春、金剛、宝 生、観世 座と呼ばれた。観世座を率いたのは観阿弥(1333〜1384)で、技芸抜群の上工夫に富み、将軍足利義満の愛顧で京都に進出し、座勢を大いに伸ばし、そ の子世阿 弥(1363〜1443)は能を一層高度な舞台芸術に育てあげた。特に夢幻能という様式を完全な形にな練り上げた。また、理論的裏付けとして諸著述を残し たこと が最大の功績といえる。

5)狂言(きょうげん)

・本来は能と狂言は交互に演ずるもので、会話劇が主体で、囃子や地歌が入る作品と入らない作品がある。
5.民族音楽大成期
第1節 三味線音楽

1)浄瑠璃(じょうるり)
・浄瑠璃とは三味線を伴奏とする語り物音楽の総称で、15世紀に三河の国の一帯で語られていた牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語が起源とされている。
(1) 一中節(いっちゅうぶし)
・都太夫一中が京都で興した浄瑠璃で、上品で優雅・温雅な曲想を持ち、無理に誇張した表現はせず、意識的ヤマは作らず、全体が静かに流れる。中棹三味線を 用いる。
(2) 義太夫節(ぎだゆうぶし)
・1684年竹本義太夫が大阪・道頓堀に竹本座を開いて義太夫が人気を博した。太棹三味線を使う。
(3) 河東節(かわとうぶし)
・江戸太夫河東が江戸で興した浄瑠璃で、細棹三味線を使い、ハジキやスクイなど派手な演奏が特徴である。特筆すべきは、山田検校が河東節を模範とし、三味 線の手を取り入れて山田流筝曲を興したことである。
(4) 豊後節(ぶんごぶし)
・宮古路豊後掾(えん)が京都で興した浄瑠璃で、18世紀半ばに江戸に進出し大評判となり、豊後節の稽古本のない家はないとまで言われた。もっぱら心中道 行物 語を語り、極めて扇情的な芸風であった。時を同じく情死事件が多発したため、豊後節にせいにされ、水野豊前守によって全面的に禁止となったが、以下の浄瑠 璃は豊後 節を母体として興っており、その意味で日本音楽史上大変重要な位置にある。
◆常磐津節(ときわずぶし)
・常磐津文字太夫が1747年に江戸で興した浄瑠璃で、重厚で踊り易い曲調であり、今日の歌舞伎音楽にはなくてはならない存在となっている。
◆富本節(とみもとぶし)
・常磐津文字太夫の同門である品太夫が1748年に興した浄瑠璃で、重厚さはなく、繊細で艶のある音楽表現が特徴である。
◆清元節(きよもとぶし)
・富本節の演奏家であった清元延寿太夫が1804年に興した浄瑠璃で、軽妙洒脱であだっぽい曲調を持ち、江戸町人、特に職人層に人気を博した。歌舞伎舞踊 の伴奏音 楽としてのみならず、素浄瑠璃としも現在も大きな力を持ち曲種が多彩である。
(5) 長唄(ながうた)
・地歌、浄瑠璃、謡曲、狂言、はやり唄などの歌詞や旋律を自在に取入れ、効果音的奏法や即興的フレーズを採用し、楽器の面でも三味線を主体にしながらも、 能の四拍 子や篠笛を取り入れ、舞台により多彩な楽器編成を可能にするなど、日本音楽の集大成といえる。
・流派は非常に多く、杵屋、稀音屋、山田、住吉、芳村、田中、福原、日吉等がある。

第二節 筝曲(地唄)
・箏をひきながら歌う音楽ジャンルを筝曲といい、箏のほかに三絃、胡弓、尺八などを含めて合奏することもある。
・筑後の僧侶賢順が「筑紫箏」を興し、それを善導寺の僧侶法水に伝え、八橋検校が法水から学び「八橋流」を興った。これが今日の筝曲の礎になっている。箏 は元々雅 楽の楽器として伝来したが、雅楽から離れた結果、新たな筝曲のジャンルを切り開くことになった。
・琴と箏は厳密にいうと異なり、箏は絃の途中に柱を立てて調弦するが、琴は柱を立てず絃そのもの張緩して調弦する。
1)生田流(いくたりゅう)

・生田検校(1656〜1715)は八橋流を学んだが、一部に改良を加え、生田流を興した。生田検校は上方で活躍したが、孫弟子に当たる三橋検校は江戸に 生田 流を広めた。
2)山田流(やまだりゅう)

・山田検校(1757〜814)は尾張藩の宝生流能楽師の子で、幼児時代に失明し、山田松黒に筝曲を学んだ。21歳で山田流の歌中心の筝曲「江の島の曲」 を作 曲した。

第三節 尺八
・今日一般的に尺八といわれる楽器の元は、鎌倉時代に禅宗の僧侶覚心が中国から持ち帰った(1254)とされている。

・江戸時代には、普化宗の僧が読経の代わりに、尺八(法器)を吹いて修行をした。尺八は武士出身の半俗半僧の普化宗修行者「虚無僧」にだけ許された楽器で あった。
・明治4年、普化宗が廃止されてから尺八は自由に演奏できる楽器になった。したがって、尺八演奏は日本伝統音楽の中では最も新しい音楽ジャンルといえる。
・正規の尺八の長さは一尺八寸で、青竹の根元の部分を使い、節が七個ある。現在ではいろいろな長さの尺八が開発され、音域が広がっている。
1)琴古流(きんこりゅう)
・黒沢琴古(1710〜1771)は各地の虚無僧に伝わっていた曲を収集整理し、35曲を制定して琴古流を興した。「鹿の遠音」や「鶴の巣籠」などがあ る。
・明治4年に同派吉田一調が教部省(宗教統制による国民教化のための中央官庁組織)に願い出て、楽器としての自由な使用の許可を取り、その後、竹友社、寿 会、竹盟 社、鈴慕会、如道会等に分派した。

2)都山流(とざんりゅう)

・中尾都山(1876〜1956)は大阪に生まれ、母は京都の地唄・平曲の名手、父は寺内検校の娘で、明暗流協会の虚無僧として修行を積んだ。明治29年 に尺八指 南の看板を上げて独立し、ヴァイオリンも学んだことから五線譜も読むことができ、尺八の記譜法んみ工夫を加え、楽譜出版を積極的に行い、都山流本曲(80 曲)を作 曲した。

・宮城道夫との出会いにより「新日本音楽」にも力を注ぎ、都山流の全国展開を図り、同時にロシアなど外国演奏旅行も行い、事実上尺八会の王座を占めるに 至った。現 在は人間国宝の山本邦山が代表的奏者である。
第四節 その他の日本音楽

1)一絃琴(いちげんきん)
・長さ約111・、幅頭部が11・、尾部が8・の一枚の板(桐の木)に一本の絃が張ってある単純な楽器である。左手指に嵌めた芦管(ろかん)で絃を押さえ て音 程を変え、右手人差指に嵌めた短い管(龍爪)で絃を弾き、旋律を演奏する。
2)津軽三味線(つがるしゃみせん)
・青森県津軽地方の民謡の伴奏で使われる三味線およびその音楽を指している。
・太棹三味線による力強い音と独特のリズム、そして、左手のツボ(勘所)を揺らす奏法が津軽三味線の魅力といえる。
3)新内節(しんないぶし)
・1777年頃、豊後節の流れをくむ若歳新内による語り口が人気を博した。普通は高低二梃の三味線で演奏する。独特の悲痛味の篭った絞り出すような発声 法で聴く人の心に訴えかける。
4)端唄(はうた)
・江戸中期から幕末にかけて江戸で流行した三味線音楽で、端唄を土台にして小唄や歌沢が生まれた。
5)小唄(こうた)
・江戸末期、清元節の端唄を独立させ、清元調の速いテンポで演奏で小唄が生まれた。
【参考文献】

・「邦楽百科事典」音楽之友社
・「日本音楽大事典」平凡社
・「能狂言事典」音楽之友社
・「日本音楽史」東京電機大学出版社
・「日本音楽の歴史」創元社
・「日本古典芸能体系(VHS)」ビクターエンターテインメント
・田中健次著「図解日本音楽史」東京堂音楽出版、2008年8月
・ウィキペディアフリー百科事典「日本音楽」

(文責:小野瀬由一)



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